あの日から10年

 2011年3月11日から10年の月日が流れた。今日(11日)は、各テレビ局が10年の復興の歩みを放映していた。

 10年前の3月11日午後2時46分私は、入間市立宮寺小学校で地域の通学ボランティアの人たちと会議をしていた。その時、今まで経験したことの無いような激しい揺れを感じ、すぐさま会議を中止にし児童の安全を確かめた。低学年は、調度下校の準備で校庭にいたためボランティアの人たちと一緒に下校させ、校舎に残っていた児童は、直ぐに放送で机の下へ潜らせ被害を防いだ。幸い校舎は、その年度の夏に耐震補強工事を終えていたので被害はなかったが、揺れは大きかった。プールの水が、激しい揺れで波を打ちあふれ、隣にある宮寺保育所の園庭が水浸しになってしまったのをはっきりと覚えている。低学年が下校をしたので教頭に指示を出し、各学年で揺れが収まってから、まとまって下校させた。その後のニュースで津波や福島第一原子力発電所の爆発やメルトダウンの事が伝わり、これはただ事ではないと感じた。

 あれから10年、被害地は大分きれいになったが、亡くなった人は戻ってこない。また、原発により福島へ帰れない人がいまだに数万にいると今日のニュースで伝えていた。本当に未曽有の被害が出て心の傷をいやせない人がたくさんいる。この、大震災は今後も語り継がれなければならない。そして、大地震が起きた場合の人命を守ることを第一に政府は考え、防災・減災に力を注いでいって欲しい。私も議員として市民の安全のために全力で取り組んでいく覚悟である。

宮城県南三陸町の防災対策庁舎 (震災遺構として残されている) 津波はこの庁舎の屋上の上2メートルまで襲ったそうだ。市の職員遠藤未希さんは、防災放送で最後まで避難指示をしていて津波の犠牲になってしまった。遠藤さんの放送で避難した多くの人は、彼女の声で助かったと感謝の気持ちを忘れない。

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金子博
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